2011年08月23日

16ヘクタールに180万本のヒマワリ

東日本大震災の影響により農業用水が引けなくなった田んぼ16ヘクタールに、ヒマワリが咲いていました。
今年限定のヒマワリ畑は圧巻です。

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須賀川市岩瀬支所周辺の水田でボランティアや「友好都市」神奈川県座間市の協力を得て、ヒマワリの種が蒔かれたもので、お盆前後が満開の時期でした。

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16ヘクタールの水田に180万本が満開の花を咲かせていました。

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綺麗なんだけど管理人の地元なので、震災の影響を思うと簡単には喜べないですね。

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種も出来始め虫も多いので野鳥の餌場になっていました。

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ヒマワリは「日に向く葵」の字の如く、全部同じ太陽の方向を向いています。

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収穫後の種や油は有効利用されると良いですが・・・

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今年のヒマワリのキーワードは「除染植物」でしょうか?

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「須賀川市 ヒマワリ」で検索すると沢山出てきます。
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2011年08月06日

東日本大震災 お見舞(福島)

昨日に引き続き、福島県のJCSA会員に見舞金をお渡ししてきました。
(JCSA理事として、管理人と古妻)

郡山市のAさん(ジムニーの整備が終わったところで・・・)
※実は被害状況を確認した所で本日出直ししました。

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FSAD協会員への御見舞もAさんにはお渡ししてきました。

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会津若松市のIさん
FSAD協会より見舞金をお渡ししてきました。

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皆様からの善意によって、人と人とのつながりの大切さを感じることが出来ました。
ありがとうございます。
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2011年08月05日

東日本大震災 お見舞(福島)

県内のJCSA協会員へ見舞金をお渡しするのにまだ全員を回ってはいないですが、同時にFSAD協会員へも出来る限り回りたいと思います。

この日は平田村のNさんを訪ねてFSAD協会より見舞金をお渡ししてきました。

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2011年07月31日

東日本大震災 お見舞(福島)

昨日に引き続き、福島県3名のJCSA会員の方々に見舞金をお渡ししてきました。
(JCSA理事として、管理人と古妻)

郡山市のIさん

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猪苗代町のSさん

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自身に対してというのは違和感を覚えますが・・・

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2011年07月30日

東日本大震災 お見舞と宮城の現状

先日のJCSA理事会決定に伴い、本日は宮城県3名と福島県1名のJCSA会員の方々に見舞金をお渡ししてきました。
(JCSA理事として、管理人と古妻)

名取のKさん
ご自宅を訪問しました。

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仙台のTさん
自宅近くの職場にてお話を伺ってきました。

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東松島のNさん
ご自宅を訪問しました。

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もうすっかり普通の日常生活をされていました。

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この日最後に待ち合わせしたのは、会津若松市のS会長
所用により出かけていましたが、帰宅途中で待ち合わせになりました。

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東松島のNさん宅を訪問した後、付近の様子を撮影してきました。
惨状はそのままで手付かず状態でした。

東松島市宮戸地区

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東松島市宮戸地区

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東松島市宮戸地区

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東松島市宮戸地区

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東松島市宮戸地区

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東松島市野蒜地区

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東松島市野蒜地区

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東松島市野蒜地区

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東松島市野蒜地区

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東松島市野蒜地区

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東松島市野蒜地区

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2011年06月13日

東日本大震災 3ヵ月後の福島B

いわき市沿岸部の続きです。

いわき市平沼ノ内地区の民家では、大津波が突き抜けていったようです。

家人の無事を祈ります。

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道路沿いの塀の有無で家屋の被害に差が出ていました。
家が傾いています。

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海水浴場のある薄磯地区も壊滅状態で、少しずつ復旧作業を進めていました。
手前に土嚢が詰まれ一般車は進入禁止です。

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沼ノ内漁港周辺の建物は激しく壊れています。

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この漁船は全体が壊れて修理しようがありません。
所有者は無事だったでしょうか?

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魚市場はいつ再開できるでしょう。
以前の活気が早く戻ってほしいものです。

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地区の堤防に一番近い並びは全部潰れていました。
壊れた軽乗用車が悲しさを増幅させます。

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この家屋も行政の解体作業を待っていました。

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同地区では数10mの違いで生活再建されている家がありました。
一方、震災で亡くなられた方も大勢いらっしゃいます。

・・・合掌・・・
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東日本大震災 3ヵ月後の福島A

広野町のN君宅を後にし、帰路沿岸部を見てきました。

いわき市四倉海岸ではいつもの穏やかな海に戻っていました。

地盤沈下の影響か、右側の水溜りの水が引きません。
写真下部の車止めもあの日さらわれたようです。

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道の駅四倉の建物はこの有様です。

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隣地は無残な被災車両の仮置き場になっていました。

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新舞子海岸沿いは瓦礫と生活ゴミが放置されたままです。
消毒臭が鼻を突きます。

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行政サービスが機能しない今、片付け作業はまったく進んでいません。

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道路左側に積まれた大きなコンクリートが、大津波で右側に流されていました。

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ここから先、海岸沿いの空き地は瓦礫の山でいっぱいでした。

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平沼ノ内地区は民家が密集していますが、そのほとんどが大津波の直撃を受けていました。
この家屋は解体作業を待っていました。

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海岸沿いの長い堤防は大津波の前に無力でした。

生活再建のためにはこの土地にまた同じ家を建てるのでしょうか?
考えただけでも悲しくなります。
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東日本大震災 3ヵ月後の福島@

東日本大震災から3ヶ月経ちましたが、この日広野町のN君を訪ねてきました。

福島第一原発からの距離20〜30kmに位置する広野町は緊急時避難準備区域に指定されているエリアですが、放射線量は福島市・郡山市より低いため、住民の一部は少しずつ戻ってきているらしいです。

しかし予断を許さない状況に変わりなく、復興作業は他地域に比べ明らかに遅れています。

常磐線の土手が堰の役目を果たし、その西側は津波の影響はなく、東側は無残な状況でした。

遠方に見える煙突は東京電力広野火力発電所のものです。

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道路建設のための重機が津波にさらわれて横転していました。

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手前部分が決壊して津波が進入し、甚大な被害を引き起こしました。

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歩道部分はひとたまりもなく一気にさらわれましたが、この部分が津波の緩衝区域になったようです。

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片付け作業はまったく進んでいません。

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道路から離れた田んぼの中なので、車は放置されたままです。

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復旧のため少しずつ作業していました。

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海沿いの地域のため震災の3月11日は農作業の最中だったのでしょうか、トラクターの姿があの日から時間を止めていました。

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会員のN君宅は海から数キロ入った内陸部ですが、近所で空き巣の被害が頻発しているらしく、警備車両が頻繁に巡回していました。
他人の不幸に乗じ悪事を企むのは最低の行為です。


N君の家は地震被害は無かったとの事でしたが、原発事故の関係による広野町役場の発表では、住民全員避難指示が出ていたので、震災当初は裏磐梯に避難していましたが、生活のためいわき市にアパートを借り家族で住んでいましたが、自営で仕事の為少し前に自宅に戻ったようです。

いつ避難指示が出るのか分からないので、いわき市のアパートは向う1年間借りて二重生活らしいです。

買物も病院も地元では対応できないようですし、生活用水も支援団体に週1回運んでもらっていました。

N君にFSAD協会より支援金と御見舞をお渡ししてきました。

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一日も早い原発事故の収束を願います。
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2011年06月11日

東日本大震災 3ヵ月後の宮城

東日本大震災から3ヶ月のこの日、宮城県仙台周辺の身内と知人の所を一気に訪ねてきました。

仙台東部道路が堰の役目を果たし、その西側は津波の影響はなく、震度6の地震被害が散見される状況でした。

名取のK親子
屋内の壁紙が少しずれた他は大丈夫との事でした。

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東松島のNさん一家は安否が気遣われていましたが、全員無事でした。
家の被害は無かったとの事ですが、車が流されて買い直ししてました。

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家の裏側の大きな石が崩落していました。

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東松島市宮戸は報道で何度も見ていましたが、実際に現地を訪れると津波の甚大な被害で、復旧には程遠い悲惨な状況です。

漁協の建物は無残な姿のままでした。

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奥松島運動公園の陸上トラックは瓦礫の集積場(4段積み)です。
家屋の瓦礫がほとんどです。

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こちらは布団マット類の山でした。

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家がさらわれ基礎だけが残っていました。

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立派な住宅も自然の脅威には勝てません。

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大津波が1階建ての屋根を越えたようです。

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形は残っていても住む事はできません。

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松島の街中は営業中の土産物屋の傍らで復旧作業中でした。
少しですが観光客が見受けられました。

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会員のOさん宅は高台で新築のため被害は無かったんですが、同会員で息子のYさん宅は家屋が傾き基礎にもヒビが入ったとの事でした。

Yさんに代わりOさんにFSAD協会より支援金と御見舞をお渡ししてきました。

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被災地域の一日も早い復興を祈ります。
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2011年04月01日

東日本大震災(復興は遠いけど)

タンクローリーを見かけると復興の兆しを感じます。

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郡山市川向のトヨタカローラ店
ショウウィンドウのガラスはもろいですが、少しずつ片付け作業が進んでいました。

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トヨペット店もガラスが割れていました。

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ガソリンスタンドはほぼ通常営業に戻っています。

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隣のコジマ電器も復旧作業中です。

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まだまだ手付かずの所も多く見受けられます。

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1階が潰れて傾いていました。

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息子の職場も日ごとに解体作業が進んでます。

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安達太良山
なんだかホッとしますね。

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須賀川市の関下〜大谷地間の生活道路

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工事中の一番低い所が陥没しました。

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昔からの田んぼ農道は何とか無事でしたが、

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この景色だけ見ていると何も無かったようです。

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人間が大地にあまり手を加えてはいけないんでしょうかね?

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決壊していて軽サイズの車しか通れません。

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池の脇も道が割れています。

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池の脇の土手も崩壊

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関下〜大谷地間の工事区間を反対側から見た所
砂利を埋めただけの所は弱い

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農家の納屋が全壊

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やはり大谷石は弱い。

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被災地にも春はいつもどおりに訪れます。

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季の郷
盛土で造成した場所

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復旧はアスファルト舗装のやり直しだけですかね?

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下水浄化施設
電柱が傾いて、ごみステーションは崩壊していた。

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電柱が傾いて電線が弛んでます。

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東北自動車道は物流の回復を感じます。

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少しずつ一歩ずつ復興に向かっています。
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2011年03月30日

東日本大震災(激甚災害の怖さ)

そば屋さんが休みでグルグル回ってました。

郡山の三穂田に程近い農家では、大谷石の蔵が倒壊したようです。

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須賀川市関下の工事中の道路はかなり崩れていました。

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盛土は弱いですね。

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須賀川市大町の古い倉庫
手前も奥もその隣も駄目ですね。

管理人の記憶から昭和がどんどん亡くなっていきます。

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市役所内の給水車

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郡山市三穂田地区
液状化で陥没

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遠くからではどうなっているのか良く見えませんでした。

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液状化で下水枡が上がってしまいました。

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須賀川市長沼地区の水害の傷跡

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少し上から橋ごと流されていました。

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田畑は家屋の残骸だらけです。

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家の屋根組が流されていました。

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作業しているあたりで橋ごと流されました。

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橋が無いので地区が分断されてしまいました。

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水害の爪跡
自然災害には太刀打ち出来ません。

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藤沼の堰が決壊した滝地区の被災現場
岩盤に届くまで土ごとゴッソリもっていかれました。

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橋は残っていますが、もう使えません。
この橋が使えないので民家が一軒孤立してます。

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藤沼湖自然公園の施設下は、大規模に崩落しました。

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土地を盛土で造成した所は、地震に耐えられませんでした。

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堰が決壊した沢のあった山中
白い布のように見えるのは、無残なガードレール

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広範囲にしかも一気に水が流れて行ったようです。

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上部の杉林は両端を残して真ん中は何もありません。

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大災害を前に人工物は見る影もありません。

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ここを復旧させないと、地域の復興はありません。

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山道は地割れだらけです。

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このままだと梅雨時に崩れてしまうでしょう。

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最初に見たとき、何だか分かりませんでした。

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石の鳥居が全部割れてました。

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途中の鳥居も間の梁の部分が崩落してます。

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2011年03月24日

東日本大震災(市街地と岩瀬・長沼)

ガソリンが入手できないので、引きこもりが長いと体調不良になります。
野菜も買えないので、便秘で辛いです。

体調回復のため、少し出かけました。

古妻の実家付近は、道路田畑の被害が深刻です。

橋の両端が沈下してます。

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復旧作業が追いつきませんね。

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田んぼの用水路はあちこちで壊れてます。
田植えに間に合うんでしょうか?

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突然自衛隊が?

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辺りを見回したら、藤沼が決壊した水害の場所でした。

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すべて飲み込んで流れていきました。

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言葉がありません。

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畑も作業小屋も流されてしまいました。

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地震の水害で死者が多数出ました。

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須賀川市南町四丁目付近
「危険」の赤紙が貼られていました。

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倒壊家屋は少しずつ片付けが進んでいます。

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「赤紙」が貼られたら、もう終わりです。

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隣も「赤紙」です。

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倒壊を免れても「注意」の黄紙が貼られています。

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管理人が幼少時に遊んでいた場所ももう終わりです。

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やはり「危険」なんですね。

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傾いていました。

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45年以上昔は管理人の遊び場だった工場の傾いた裏門

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しっかりした造りの米屋ももう駄目です。

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隣もその隣も全部「危険な赤紙」です。

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寺の墓石

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ほとんど倒れてました。

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けが人が出なかったことを祈ります。

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須賀川市役所

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内部の柱や壁の被害が大変らしいです。

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西側の壁は壊れて穴が開いてました。
市役所機能は分散したようで、中ではもう業務が出来ません。

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須賀川市立第一小学校付近の大黒池は放水口付近の道路が大きく陥没してました。
もちろん通行出来ません。

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2011年03月19日

東日本大震災(自然の脅威)

家族が避難中なので、家に残っていた食料を管理人宅に持って来てくれた(感謝!)ミスターブルーは、ガソリン入手不可能により、須賀川から郡山まで自転車で移動しています。

この日もミスターブルーの写真報告です。

郡山南部のコスモス通りは道路に亀裂が入ってます。

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亀裂が入った上に地盤が沈下しています。

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息子の職場は重機で解体作業中です。

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中に会社の物や社員の物があるので、確認しながらの解体です。

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瓦礫も分別しないと出せないらしく、コンクリートのガラと鉄筋・鉄骨類を大別しながらの作業です。

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須賀川市内の神炊館神社は、地震によるヒビで崩壊寸前だった石の大鳥居の解体作業中です。

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この数日でついに倒壊してしまった。

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見るも無残

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市役所に入る角の元書店も1階部分が潰れた。

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土壁崩壊したが、平屋建てなので倒壊せずに持ちこたえたようだ。

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2011年03月17日

東日本大震災(復興の兆し)

ようやくガソリンの搬送が始まりました。

本日付け福島民報新聞の引用
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政府は十六日、いわき、相馬、田村、南相馬の四市の市民向けの緊急避難用ガソリンのタンクローリーによる運搬を開始した。しかし、搬送先は郡山市とされ、県は四市に運ぶ 運転手の確保に追われている。
 タンクローリー五十台が到着し、四市の給油所に配給する見通しで、初日は約三十台が本県に入ったもようだ。しかし、運転手側の要望で運び先は郡山市となった。このため、県は、自衛隊や県石油 商業組合などに要請するなどしてドライバーの確保を急いでいる。
 県の担当者は「県内で物流を担う人の確保が難しくなっている。できれば直接、現地に運んでほしかった」と話している。
 首都圏などから到着したタンクローリーは郡山市喜久田町の郡山運送の駐車場に集合し、四市に向かった。
   ◇ ◇
 警察や消防など緊急車両用ガソリンの本県への搬送も十六日から始まった。初日は郡山、須賀川両市など中通り、浜通りの給油所十ヵ所に届けた。
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これに関しては、元売各社および全国各地の皆様のご理解があって実現した、救援活動の一環です。

今朝連絡のあった組長からは、「横浜は電気が計画停電中、水道ガスはOK。生活用品は売り切れ続発。給油はほぼ不可。」と、かなりの影響が出ていますが、救援のためにみんなが我慢してくれていることを思うと頭が下がります。

現時点では「警察や消防など緊急車両用ガソリン」の扱いでしかないので、一般用には給油できないが、もう少し待てば何とかなるでしょう。

ただ残念でならないのは、運転手側の要望で運び先が郡山市になった事。
当初の予定では、いわき、相馬、田村、南相馬の四市の市民向けの緊急避難用ガソリンとして、現地に直送されるであろうタンクローリーも、原発被害の影響によって現地入り出来ていないので、県は新たに運転手を確保しなくてはならない。

原発の過剰な風評被害といえるものでしょうが、地元で耐えている福島県民をどうか見捨てないでほしいと切に願います。
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2011年03月14日

東日本大震災(須賀川北部〜郡山)

この日もミスターブルーの写真報告です。

息子の職場は重機が入って少しずつ作業開始したそうです。
(息子本人は自宅待機です。)

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どこから手を付けていいのか分かりません。

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4号線郡山市川向の福島日産
ショウウィンドウのガラスがメチャクチャです。

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2011年03月13日

東日本大震災(須賀川〜鏡石)

太平洋沿岸部の被災状況があまりにも深刻で、内陸部の被害など比べるべくも無いぐらいですが、やはり住民にとっては深刻な被害です。

ミスターブルーの写真報告分ですが、比較的新しい建物も柱や外壁の被害が見受けられます。

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この日はジジドルの安否確認を北海道のご親戚から頼まれたので、行ってきました。

出がけに家から少し走ったら、近所の道路はひび割れだらけです。

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数キロ離れたジジドル宅の被害は無く日常生活に戻っていましたが、電話が通じないし年配者で携帯のメール操作を嫌う人だから、止む無く訪問してきました。

ご親戚から受け取ったメールを赤外線で転送してあげてから少し話をしたら、水道が出ないため給水所まで何回も往復しているとの事でした。
給水制限で一度に3リッターまでしか給水を受けられないそうで、タンク持参でオイラの家まで来るように話してきました。

向かいの家の屋根は瓦が落ちて、シートで応急処置してありました。

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この他にも瓦屋根の家はほとんど被害にあってましたね。

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息子の職場は、3階建ての建物が倒壊しました。

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避難が間に合ったらしく、ケガ人は出たらしいですが死者は無かったようです。

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少し移動した所の民家は瓦が壊れ、塀が倒壊してました。
大谷石はもろいです。

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道路に面した大谷石の塀は全部崩れていました。

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スタンドに並ぶ長蛇の列
何時間待っているだろう。

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鏡石地区の歩道は数キロに渡って陥没してました。
家屋も数軒倒壊しています。

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鏡石駅の公衆電話ボックスとフェンスが倒壊
この付近の道路は損壊が酷くて、まともに走行できません。

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電柱は倒れる寸前です。
歩道は地割れと陥没が酷く、付近の道路は至る所で陥没してました。

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国道4号は大渋滞で、1本道を外れると断層が出来てました。
20cmぐらいあります。

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以前からの住宅街は、塀の倒壊が数100m続いていました。

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不謹慎な写真ばかり撮影していると思われがちですが、地震の怖さと被害を知ってほしくて撮りました。

復旧に時間がかかるのと、主要道路は大渋滞で身動きがとれず、給油も大変な状態です。

それより14日から東電管内で輪番停電が始まると報じられていますね。
不便な生活を強いられると思いますが、お互いに我慢しましょう。
この機会に【節約・エコ・もったいない】を真剣に考えなくてはならないと痛感してます。

数日は写真で報告します。
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2011年03月12日

東日本大震災(須賀川の街中)

ミスターブルーが近い地域の現状を写真で報告してくれました。

道路のひび割れ

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橋の両端は沈下しました。

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応急補修しかありません。

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管理人が幼少時からあった土壁の建物は崩落寸前です。

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外壁が落下してます。

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潰れた民家

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大谷石の塀はもろい

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中華レストランの外壁

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母校須賀川市立第一小学校 南東角の柱

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外壁はもうだめです。

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校庭@

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校庭A

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校庭B

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校庭C

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校庭D

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校舎の柱

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校舎つなぎ目のヒビ

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北校舎2階のヒビ

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倒壊した農家の物置

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倒壊した大谷石の物置

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粉々に砕けたショウウィンドウ

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めくれた歩道

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看板と外壁が落下

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こちらも看板と外壁が落下

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お墓の灯篭と外塀

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液状化で隆起

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2011年03月11日

東日本大震災(当日)

少しずつ地震の事をUPしていきます。

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福島県中通りに位置する須賀川は震度6強の地震で、数十年生きてきて最大最悪の地震です。
最初の地震が来たときは、家が倒壊してこのまま死ぬと思いました。

現状は、高速は通行止めで、一般道路は地割れ陥没箇所が多数発生しています。

営業しているコンビ二もだんだん数が少なくなっています。
スーパーマーケットも商品散乱と建物被害で多くは営業出来ていません。
GSも幹線道路沿いのみならず、田舎の個人商店でさえ燃料切れで給油できません。
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